【映画のための読書】1週間でマスター 小説のメソッド 初級編 その1: 小説とは何だろう? PARTⅠ
映画といえば普通はシナリオなのですが、
シナリオについてはまた別の機会に紹介するとして
今回は、小説の書き方の本を紹介していこうかと思います。
この記事は本の内容に触れます。
また、記事中の意見等はブログ管理者の個人的なものです。
ご了承ください。
第一日 小説とは何だろう? PARTⅠ
・最も関心があること。・最も大切だと思っていること。・最も重大な問題だと感じていること。これこそが、優れたテーマであり、かつ良い題材なのです。
・身に詰まされる。・我を忘れる。
・身に詰まされる→シリアス・ノベル、現実的→書き手の切実さが、読み手に伝わる→そうそう、わかるわかる(同意・共感)・我を忘れる→エンタテイメント、娯楽性が強い→読み手の切実さに、書き手が応えてくれる→へぇ~(驚き)
小説って何なんだ?
小説とは「愛と憎しみの間を行ったり来たり、心の動きと体の動きの間を行ったり来たり、自己と他者、個人と社会の間を行ったり来たりするもの」なのではないか。
昔むかし、ある所にシンデレラという娘がいました。母や姉は舞踏会へ出かけるのに、炊事・洗濯・掃除ばかりさせられています〔A〕。
魔法使いのお婆さんが現れました。カボチャを馬車に、ネズミを白馬に変えてくれました。シンデレラは舞踏会へ向かいます〔B〕。
そこで王子様と会い、一緒にダンスを踊りました〔C〕。
けれど、十二時になると魔法が解けてしまうので、帰らねばなりません。シンデレラはガラスの靴を忘れてきてしまいました〔D〕。
王子様はガラスの靴を手に、国中を探しました。足がピッタリ合うのは、シンデレラだけでした。二人は結ばれ、末永く幸せに暮らしました。めでたし、めでたし———。
こうして、「構成」を目に見える形で取り出し、多くの物語がこのようなパターンで作られ、基本形になってると説明しています。
そして、これは「起承転結」にそのまま置き換えられるとも言います。
そのとうりですね。
本著では、このシンデレラ曲線以外にもいくつか曲線が紹介されていますが、基本的には、多少アレンジはしたとしても、シンデレラ曲線を意識して作った方が、個人的には人を楽しませる(心を動かせる)話が作りやすいのではないかと思います。
とはいえ、
「うるせぇ! 自分は型なんかにとらわれず、自分のオリジナリティで行くぜーっ!」という方もいるかと思います。
そんな方のためにも著者は言っています。
それでも、誤解しないでほしいのは、(中略)物語の「型」に合わせろと言っているのではありません。(中略)型を知っているのと、知らないのとでは大違いです。型を知った上で、さらに物語をその型からズラす作業を勧めたいのです。
そして、
その「ズラし方」こそが、書き手としてのアナタのクセであり、特色であり———作家の個性なのです。
歌舞伎俳優の中村勘九郎さんは、そのインタビューで述べています。「芝居の型を知らなければ、“型破り”もできない」と。
こうして、第一日が終わっていき、PART2として第二日へ続きます。
そして、この記事も今回はここまでで、後日へと続きます。